戦争の記憶

取材は祖母の戦争体験を聞くことから始まった。
出征、死の行軍、捕虜虐待、シベリア抑留、
豊橋空襲、豊川海軍工廠被爆、兵役、
戦艦大和沈没、特攻隊、…終戦。そして戦後。
不戦の願いを語り継ぐ、
東三河の戦争体験者20人の記憶。


聞き書き・北川裕子
写真 ・八木史子


定価・3,150円(税込)
B6判/ハードカバー/320頁

戦争の記憶
「東三河の戦争体験者20人」

目次
はじめに
桜の祈り 60年目の戦争遺跡
戦争の記憶
爆撃の下の13歳
豊川海軍工廠・見習工
友は14歳のまま
中学生の戦中時代
東京大空襲の疎開学童
戦時中の2回の大地震
戦中戦後の暮らし
焼け跡の貧困
特攻隊を見送って
小学生の豊橋空襲体験
大崎島の記憶
元・国鉄職員
戦時下の母の想い
裸足の勤労少年
戦艦大和・天一号作戦
若き将校の記
元・特攻隊員
終戦間際の軍隊生活
シベリア抑留から生還
ラブアン島の玉砕を生き残って




「……あの日のことをお話ししましょうか」
 そう言うと後藤さんは庭先に目を向けて、そのまましばしの間、言葉を選ぶように押し黙ってしまった。少し陽射しの強くなった初夏のある日、後藤さんの目が庭よりもずっとかなたを見ていることが私にも分かったので、それだけでもう堪らない気持ちになる。私たちには想像もつかない苦しみから60年経った今も解放されず、悔しさも哀しみも呑み込んだ表情で、静かに語り出してくれた…

サウナのように暑かった真夏の防空壕
防空壕は暑くて寒くて、本当に辛かった。冬はとんでもなく寒いし、夏は暑い。それも普通の暑さじゃない。ちょうどサウナみたいなもので、そこに服を着たまま、家族七人が一緒に入るんだから耐えられないくらいに暑かった。私はあんまり暑くて表に出たいと思ったが、親父が「死ぬならみんな一緒だ。離れてはいかん!」と出させてくれなかった…

十代の初めから家族の生活を背負って
軍隊では、寝る前に一列に並べられて、「気合を入れてやる」と言っては一等兵が端から殴っていった。平手打ちが毎晩だ。何人も殴ると手が熱くなるから、バケツに手を入れて、冷やしてまで平手打ちを続けるのが軍隊式だった…


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